Thunderstruck - Back To '90s pt.3

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97年続き。

サンダーはガタガタだった冬のツアーを挽回すべく、夏に英国で4回の公演を企画。意外かもしれないが現地では日本みたいに全公演セットリスト変えるってことをめったにしない彼らが、それぞれで違う演目をプレイして、そのベスト・テイクで初のフル・ライヴ・アルバムをリリースするという嬉しい計画を発表した。
それが名作2枚組「ライヴ!」となって翌98年にリリースされることになるわけだが。。。

前にWS回顧録の中で触れたように、英国から帰国したら元嫁が発狂して精神病院に収監されてて、ここから約1年半、"My Darkest Hours"が始まった。

退院してはまた不安に陥り入院の繰り返し。。。心療科・外科含めて数えきれない病院を転々とした。もう離婚してたとはいえ、付き添う人間がいないので俺が面倒見てやってた(そもそも病因が幼少時代の虐待体験だったので、向こうの家族を近付けるわけにもいかなかった)。退院すると、一人にしておけないんで俺のマンションで過ごさせたが、俺は「在宅勤務」という名目で会社休んでずっと付き添ってた。

目を離すと、死のうとするからだ。

病院からもらってくる大量の抗うつ剤を服用して大人しくなってるうちはまだいいんだが(いや、あらゆる神経をマヒさせるんで、たばこ吸っててまた別のに火つけたり、そのまま眠りこんで床に落とすとか、それはそれで気が気じゃなかったわな、汗)、薬の効用が切れると「生きてるのが辛い」と言って。。。会社から戻ってきたら市販薬の空き瓶が転がってたり、風呂場が血の海だったり、当然本人は救急車に運ばれてその場にいない。入院したらしたで見舞いに(病院でも死のうって考えアリアリだったんで)、なんてことの繰り返し。そんなんだから、仕事してるどころでなく、SEとしては「2000年問題」まっただ中で忙しいはずが、仕様書さえ提出できずに大きかった仕事を落とすなんてこともあった。

自分の明日の行動が自分自身の意思では決められない毎日なわけで、ホントこっちまでおかしくなって来そうだったし、前年に知り合った海外の友人と近況伝え合うメールの中で、"Nothing makes me smile"って言葉使ったけど、あながち誇張でもなかった。

その後上司の計らいで、得意先で仲の良かった先生が院長を務める自由が丘の一般病院に隔離させてもらった。面倒見てもらうことで俺が会社で働けるのと、得意先からPCメンテの依頼で呼び出されたという口実で業務中に見舞いにも行けるように、と(もっとも向かえるのは20時とか消灯直前だったけどw)。

その入院中に大雪に見舞われたの思い出す。見舞い中に降りだして、終わって渋谷に出てみると山手線が動いてなくて、仕方なく渋谷から代々木まで、そこかしこに車が乗り捨てられてるような中、2時間近くかけて歩いて帰った。その翌日だったか、成人の日で、行き来にマキシマムPRT聴きながら向って、「ライヴ」からたしか"The Only One"が先行オンエアされてたのを覚えてる。


てな中だったんで、前年33本行ってたライヴ三昧も、そんな気分と状況ではなかった。唯一行ったのはサンダーのたった4本だけ。。。

。。。って、それでも行ったんだ。奴らのだけには。何がなんでも行かないといけないと思ってたから。
95年のツアー・レヴューを"lovely THUNDER. We are always, anywhere, forever, together."で締め括った俺には、それが彼らとの「約束」に思えたんで、それだけは果たさないと、俺自身の、自分の存在意義すら見失ってしまいそうだったから。

WS同様、もう自分の個人的な愉しみのために彼らに会いに行くとかいうレベルでなくなったのがこの時だったのかもしれない。


とはいえ、この98年ツアーの記憶はほとんどない(汗)。今回回顧するにあたっても、他のツアーは何やったとか自然と記憶がよみがえってくるんだが、この時は「早く終わってウチに戻らなきゃ」と時計を気にしつつステージを観てたことぐらいしか(苦笑) さっきセットリスト見返してたが、"Englishman"とか"Empty City"とかを初めて聴いてるね。。。てか、先に「無駄に長い"Empty City"」って言い放ったのはこの原体験からなのか?(滝汗)


まぁ、その後(98年秋以降)、カウンセリング・セラピーで有名なとこに通院するようになって、小康状態(沈静化ではない。翌年の俺の誕生日にそこで自殺未遂図ったし、汗)、わすかだけど俺の中にも1ヶ月後先くらいまでは(苦笑)物事考えられる余裕が出てきた。WSファン・サイトの盟友hamaとの交流もこの頃本格的に始まった、ウン。

99年発表の「ギヴィング・ザ・ゲーム・アウェイ」が、激しさを抑えたアダルティで良質な楽曲に恵まれた作品だったのは、他の人には物足りなかったかもだが、当時そういう状況の中では「救い」にも似た心境で聴けたという点で俺の胸には深く刻まれている。

そしてそのサポート・ツアーがGWまっただ中に東阪2公演。しかも片方は日比谷野音。

大阪から新幹線で帰ってきて、一旦会社で用を足して、野音に向かった。
野外ステージゆえ、日比谷公園周辺にいればショウの進行がわかる。前座のリリアン・アクスとかには興味なかったので遅めに駅に着いたつもりだったんだが、まだやってる。。。その後セットチェンジとかもあるんだろうから余裕ありと、ちょっとブラブラして見つけた吉野家で牛丼食ったw 
爪楊枝シーシーして「ヨッシャ!さてそろそろ行くか!」と意気揚揚と外に出たが、完全に道失ってた(しかもかなり有楽町寄り、汗)。1か所しかない野音の入り口探してひた走る。大歓声が沸き起こるのが聞こえて「ヤバイ、始まるぅー><」

ハリーが"Tokyo Tokyo"を踊る中、滑り込みでなんとか1曲目に間に合いました。隣のhamaに「Yo!」と(いつものことだと言わんばかりにw)挨拶して即戦闘モードに。

ショウ自体はいつものヤツららしいステージ。ルークが初めて白のレスポール使ってなかったっけ?あれ?上下白のコスだったからそう思えたのかな?"Giving..."で前日の大阪では使わなかったメガフォンでの演出が、思うように音が出なくてダニー焦ってたよね(爆)。この日の模様はCSのキャプテン和田の番組で4-5曲やったのを持ってるんで、たまに懐かしく思って観る。野外のオープンさにアンコールの2曲のカヴァーがハマってた、すがすがしい1日だった。


まさか、これがその後「解散」を口するバンドのプレイだとは、誰も予想だにしてなかっただろう。


99年11月2日。公式サイトで「サンダー解散」が発表される。

 

 


 


 


えっと、Pt4で続きを書こうと思ったけど、英国のフェアウェル・ツアーについてはファン・サイトのほうに、日本のフェアウェル・ツアーに関しては、左メニューのカテゴリで[サンダー]を選んで一番下までさかのぼれば読めるので割愛w 最終的に今回のフェアウェル終わる時の総括でこの期間の件で触れたいことがあるんだけどね。

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このページは、kino1989が2009年4月11日 16:49に書いたブログ記事です。

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