今日この日と、あの番組の「あの人」によせて

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親愛なる中村「あっ、ゴメン」真理様

「ビルボード TOP 40」放映開始25周年、本当におめでとうございます。
22-3年前、学生の頃「洋楽と言ったらTVK」でしたので、この番組を初めとして、
「ファントマ」「ミュートマ」「SONY MUSIC TV」等、毎週いや毎日齧りつきで観させ
ていただいておりました。英米どちらの音楽シーンにも詳しい真理さんの解説がとても
勉強になりました。

真理さんは覚えていらっしゃらないかもしれませんが、僕、「ファントマ」主催かなんか
で井の頭線池ノ上駅近くにあった喫茶店での少人数集めたミニ・イベントに参加させ
ていただき、自己紹介で「ミニFMでDJをやってます」と口を滑らせてしまったのを気
にかけてもらい、イベントの最後の10分弱でしたが無謀にもプロである真理さんを
前にDJをする機会を与えていただいたことがあります(笑)。

ちょっとした前振りトークに続けてテレンス・トレント・ダービーの「イフ・ユー・レット・
ミー・ステイ」を紹介する程度のお恥ずかしい一芸で、針を下ろす手が震えてたかは
定かではありませんが、今でもよい思い出となっています。「彼が好きならコレもいい
と思うよ!」と言われてサインまでしていただいたスタン・キャンベルのデビューLP、
今でもちゃんと大事に持っています(笑)。

当時イギリスでちょっとした黒人ソウル、ブルーアイド・ソウルのムーブメントがあって
どっぷりハマっていた僕が、その後どういう音楽志向を経たかというと...

ハード・ロック/ヘヴィ・メタルとブルーズ三昧でして、現在も年間100枚近いCD
を買って20-30本のライヴを観に行くといった生活を送っております(爆)。

1987年10月10日。ホワイトスネイクの「ヒア・アイ・ゴー・アゲイン」がビルボード・
シングル・チャート1位になり、3日後の13日に真理さんの番組において(私には
初期のこの番組って火曜夜22時オン・エアだったと記憶しているのですが...間違
っていたら14日ですね。あ、ゴメン汗)、あの「おねえちゃんがジャガーとおにい
ちゃんと戯れる」ビデオ・クリップを観ました。当時はNo.1になったら収録アルバム
は必ずレンタルして聴くというのがルーチン・ワークでしたので、翌日には
「サーペンス・アルバス~白蛇の紋章~」を近くのレンタル・レコード店で借りて
聴きました。

そして日本語ライナー・ノートで歌詞を紐解くと... そこにはクリップのイメージに
あった「ありきたりなラヴ・ソング」ではなく、挫折を繰り返してでも前進することが
大事と唄う、まさに「人生への応援歌」であったことを知って、僕は深い感銘と
衝撃を受けました。

当時、僕の周りで自動車事故により20歳にして命を失ったDJ仲間達がいて、
僕は悲しみのどん底にいました。一人は女性で、僕は彼女に対して恋心を
抱いていて、仲間内でグループ交際みたいな関係から一歩踏み出ようと
思い切って告白をした直後の出来事でした。先のイベントのDJの際に、
T.T.D.の「もし君がそばにいてくれたなら」をプレイしたのは、その女性の
ことが頭の隅にあったからかもしれません。同時に自分のDJなんかより
よっぽど真理さんに聞いていただきたかったと思うくらい「人に何かを伝える」
という素質と才能に長けた人でした。

彼女を失った時、自分の想いに対する返事を得ることができなかった以上に、
彼女がプロのDJになるという夢を遂げられずに人生を終えてしまったことへの
無念さと悔しさでいっぱいでした。将来有望な人の命が奪われ、才能のない
この自分が生き続けているという罪悪感に打ちひしがれて苦痛から逃れたく
自殺まで考えたこともありました。

そんな時に、この唄(「ヒア・アイ・ゴー・アゲイン」)と出逢い、ヴォーカルの
デイヴィッド・カヴァデールに万感の想いを込めて語りかける、
「過去にしばられてないで、まだ道があるならまた歩んでいけばいいじゃないか」
の言葉に、真っ暗な世界に一筋の光が射したような気がしました。この曲だけ
でなくアルバムの全曲を聴いて、それぞれの曲に自分の歩んできた喜びや
悲しみを重ね合わせながら、「苦しんでいるのは自分だけではない」という
救いと、この作品でデイヴィッドがそれまでのスタイルを捨て、肉体改造と髪を
染めてとことんヘヴィなサウンドでそれまでなし得なかったアメリカ制覇を果たし
たその並々ならぬ執念の賜物であることが、当時の僕に「今、残された自分
にできることがあるかもしれない。彼女の遺志と言ったら変だけど、彼女が
できなかったことを自分が少しでも引き継げればそれでいい」と考えるまでに
至りました。

その後すぐ、僕は(インターネット以前の)ネットワークに出逢い、まだまだ黎明
期だったその世界のコミュニケーション・ツールとしての将来性に希望を託して
これを職業としました。趣味の面ではマイクをキーボードに替えて(笑)自分の
音楽への想いをネットで表現するようになりました。インターネットという新しい
大きなネットワークが生まれてからはいくつかのバンドの(世界初)ファン・ページ
を作り、その知識と技術を今の仕事に生かしています。特にホワイトスネイクの
ファン・ページは世界的に評価され、2000年にはプロモ来日中のデイビッドから
直々にお声がかかり、酒を交わすという稀有な体験もしました!まさに生きてて
よかったと思った瞬間。彼の成功に比べれスケールの度合いが違いますが、
僕は僕なりに、あの時夢見ていたことを公私で実現しているという自信が今の
自分を支えてくれているんだろうと思っています。

たった1曲の唄が僕の人生を大きく変えてくれた。

今でもデイヴィッドを人生の師と仰ぎ、挫折や迷い等、事あるごとにこのアルバムと
あの曲を聴いて決断する勇気をもらっています。20年という時を経ても「ヒア・アイ・
ゴー・アゲイン」はクオリティ的にもくすぶることなく輝き続けています。そして迷いを
持ちながらも夢見ることを忘れずに人生を送っている全ての人に捧げたい、
そんなザ・モスト・フェイヴァリット・メッセージ・ソングなのでこの番組にリクエスト
したいと思います。

今の自分があるのはデイヴッドと、彼という存在を僕に紹介してくれた貴女と
この番組のお陰だと感謝しています。

13日には20年目を迎える記念としてホワイトスネイクを通じて知り合った
- この日がなかったら永遠に交わることのなかっただろう - イカレたイカした
仲間達と呑む予定でいます。

番組のオン・エア時間に僕が自宅のTV前にいることはまずありえない仕事にも
多忙な生活を送っていますが(苦笑)、この番組がこれからも人に音楽の素晴らしさ
を伝えて続けていかれるよう、今後も更なる真理さんのご活躍をお祈り申し上げます。
40代の大台に乗った僕も(爆)、場所こそ違え、同じように音楽が与える感動を
自分なりに表現していきます。「ロックすることに卒業はない」ですから。

本当ににありがとう。


東京都武蔵野市 Shuichi www.Kino1989.net Kinoshita


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このページは、kino1989が2007年10月13日 11:27に書いたブログ記事です。

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