Past Time With Good Company

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 もう1ヶ月前の話になってしまうが、本サイトが縁で知り合った友人達
とのオフ会が自由が丘にあるパブにて行われた。ウチのメインとなるホワ
イトスネイクのページと同志hamaのサイトとの共催でかれこれ10回目になる。
冬12月の恒例鍋会を除いては毎回パブ(あ、そういえば一般人の知人に
この前その話をしたらパブ=スナックと勘違いしたみたいなので一応注釈
いれとくが、ウチらが言うパブはアイリシュ・パブもしくはビア・パブの
ことで例えばこうだったりこんな感じの所)なので2次会などはなく、
夕方17時から始まり時間無制限で続く(笑)。この日は俺が運用するメ
ーリング・リストのメンバーがほぼ全員参加という初の10名越えの盛会
だった。最初は最近入会した一人の歓迎会としてだったが、結果的に初顔
合わせということが多くなり、意外に新鮮さを感じたのわ俺だけぢゃない
はず。相変わらず底なしに喋り捲る人(笑)、聞き手に回る人、話題を振
られるとぶっちゃけちゃう俺(爆)、いろんな人が集まるのはとても楽し
く、この日も5時間近く自分達の体験してきた好きな音楽に対する熱い会
話を交わすこととなった。

 帰りの電車で満足感に浸りながら、そういえば自分で企画してここまで
の規模になったオフ会って90年以来だから13年ぶりだったなぁ等と
しみじみ昔を思い出したりした。


「This Is Radio Station Kinokin,
 この放送は周波数 XX.XMHzで、東京都狛江市よりお送りします。」

 1980年11月23日20時。ラジオ好きが高じて自らが電波の発信
元となりたいと思って、俺のFMラジオ局、任意団体RSKの活動が始ま
った。団体といっても構成員は2人以上居たことわなかったが(苦笑)。
記念すべき1曲目は「西部警察のテーマ」by 高橋達也&東京ユニオン。
いや曲をかけたのでわなく、単にやってたTVの音をマイクで拾っただけ
である(爆。鮮明な記憶が間違いないか、PCの時計で調べたらやはりこ
の日は日曜だった)。俺にとっては今日である本当の誕生日よりもこの日
を迎えるほうが今でも感慨深い。

 まだ東京にFMが2局しかなく「ミニFM局」という呼び名も無かった
時代に、空きに空いてた周波数帯を縦横無尽に俺達「海賊共」は暗躍した
(いや、安送信機だった俺だけがコイルずれの調子次第で動いてただけ)。
通常50メートル以上飛ばしてはならない電波を数キロまで届くよう出力
を上げ(多摩川を越えて川崎まで。あ、ちなみに「狛江市から」というの
もダミーである、爆)電波管理局の監視の目をくぐり、既成の放送にない
自由なフォーマットで、好みの音楽・好きな話題を駄弁りながら夜を過ご
す。番組終了後はアマチュア無線のノリでそのまま同志の他局さんと公開
交信に突入、徹夜はもちろん、時には20時間近くにおよぶこともあった
(爆)。

 そんな生活が6年続いて、その後いろいろあって(2000年の「自分
の原点を再認識した旅」で触れたのでばっさり割愛)、まもなくしてネッ
トワークの世界に出逢う。

 ネットといっても「CAPTA!N」というNTTが推奨したマルチメ
ディア通信網にそれ専用の機材を持った人だけがアクセスできる閉鎖的な
世界での話だったが、そのホスト上で、輸入雑誌やラジオ等で得た洋楽の
最新情報や聴いた作品の簡単な寸評を今で言うBBSに物凄い勢いで書き
込んでいく.....ちょうど今の「らくがきちょう」でやってるみたいに
(笑)。

 その活動で表現方法が「声」から「文字」に変わっただけでなく、それ
までの電波の届く範囲での狭いコミュニティから日本国中にいる人に向け
て「何かを伝えることができる」手段を手に入れたことにも結構感動した。
双方向だからこちらが打てばすぐ反響が返ってくる点もこの世界ならでは
で、実際最初の数年間はネットでリクエストを取ってそれに答えたDJ番
組を1-2時間で作ってテープに録音して回覧してもらうということもや
ってたし(だからジツをいうと俺が伊藤政則先生よろしくHR/HMをか
けまくるDJテープというものが存在したのだよ、笑。実際手元に1本だ
けマスタが残ってるがこれは「若気の至りでやってしまった企画モノ」な
ので門外不出ではある。閑話休題)、昔から人をまとめるのは苦手だが、
企画するのわ好きな人間だからして、その頃から既に「オフ会」と呼ばれ
てたオフライン・ミーティングを企画して実際のコミュニケーションを図
ることの面白味を経験してたりする。

 一方的に流される新聞や放送といったマスメディアしかなかった80年
代後半に、コンピュータ・ネットワークによって自らが欲しい情報をチョ
イス可能なこの新しいメディアの出現が、布いては電話に変わってPCが
人と人を繋げてコミュニケーションの手段となって誰もが電子メールのア
ドレスを持つ未来がそう遠くないことを予感させたのでこれを大学の卒論
としたし、実際大学を出てからも一環してこれを仕事としているのは周知
のとおりだ(2000年「得をしたのはどいつだ?」も参照)。

 それからもう15年。その間に「インターネット」というさらに世界的
規模で玄人素人問わず誰もがアクセスできるネットワークが出来上がって
相変わらず同じ世界に生きている、DJ時代の倍以上の人生をつぎ込んで
(爆)。

 気づくと俺がこのサイトに「インターネットDJ」なんて仰々しい名前
をつけるまでもなくホームページを持っている誰もが「自分を表現するため」
にDJしているとも取れるんだな。事実、先のオフ会のメンバーも殆どが
ホームページを持っている人達である。この15年のうちに俺がやってる
ことも「特別なこと」ではなくなった。でも俺はそれをかなり喜んでる。
夢に見てた世界だし、自分がこれからも続けていくことへの励みにもある。

 現在ホワイトスネイクのページは休止中でその他も全く更新してない状
態で何かひとつ吹っ切れた思いもある。情報を伝える責務から解放されて
最近の近年にない「好き勝手に書き連ねるコンテンツで爆走増量」が
「比較的暇」が故のペースだということは自分でもわかってるが(猛爆)、
時間を見つけてできるだけこんな感じで続けていけたらと思うよ。サーチ
・エンジンに登録されているわけでもなく、相互リンクなんていう形式上
の繋がりでもなく、ただ俺のURL直伝でだけで(苦笑)関心持って来て
いただいてるあなた方には伝えたい、これが僕の「パーソナリティ」であ
り、「ライフ・ワーク」だから。

 最後に、本サイトが縁といっても俺の人徳によるものでもなく、実際に
会を引っ張っていっているのかという点には自分で疑問符が飛び回る反省
さ点もあるが、それでもこういう繋がり持てる自分の幸福さを共有させて
いただいてる皆さんにあらためて感謝したい。

 新たな想いを今日この日に。

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ここで暴れてるか
鑑賞中です♪

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このブログ記事について

このページは、kino1989が2003年3月30日 22:27に書いたブログ記事です。

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