私が愛したカヴァデール '93-'94

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え?平日なのにヒマしてるじゃない?って? ちゃうちゃう、「書こうと思う」って言った時点で既に書きあげてたものを分割アップしてるだけなので(爆)。
なんか今日のは「旅日記」みたいだな(汗)


WSが消滅したメタル・シーンに対して次第に関心が薄れていった。おりしもグランジの台頭によって80年代後半から続いたメタル・バブルに失速が始まりつつあった90年代初頭のこと。
俺も音楽から離れるのに未練も残らないだろう、うん、愛に生きよう!(爆)と彼女と婚約し、1年の準備期間を経て結婚。その間ライヴも買ったCDも指折り数えられる程度だった。「朝晩一生懸命働く、彼女を大事に扱うため」"Give Me All Your Love"の歌詞をまさに地で行ってたw

ただ、複雑な「お家事情」もあり、結婚生活は半年で破綻。

失意の中、93年を迎えた俺の耳に入ってきたのは、


元ホワイトスネイクのデイヴィッド・カヴァデール、元レッド・ゼッペリンのジミー・ペイジとバンド結成。

2年の沈黙を経て、ここに「カヴァデール・ペイジ」という夢のプロジェクトが振って湧いて出たのである。まぁ、3月にアルバムがリリースされた時点ではその内容に「??」だったけど(ゲットしてから向かったナイト・ホークスのライヴのほうが数段よく感じたw)、カヴァがWSとは異なる新境地での新たなるスタートに次第に理解を深めていった。

で、年末の来日公演。このツアーが世界唯一になるとは思いもせずだった。これが俺にとって今も続く「全おっかけ」の始まりとなった。なにしろ「結婚するから」という理由で上げてもらった給料も「離婚しました」で減るわけでもなく(爆)、ほぼすべてが自分の思い通りにできる状態だったので、思い切っての全7公演制覇。

ツアー初日の武道館。3年ぶりに人前で披露されるカヴァのヴォーカルはお世辞にも凄かった!とは言えなかったが、「スリップ」時代の終始ハイ・テンション状態から解放されたリラックスさは感じた。余裕すら感じられ、ほっと胸をなでおろしたのを覚えてる。それよりかは、一部ゼップ・ファンのカヴァに対する横柄な態度のほうが気になったし、そのジミちゃんが弾くWSナンバーを聴いて、やはり「ドラえもん」の異名を取るだけのことはある!と思ったw

それが、回を重ねるに連れてペイジ氏が本領発揮、大阪での健闘を経て、最終の地・名古屋において、短いながら"Stairway Of Heaven", "Whole Lotta Love"をかます伝説のステージになったのは歴史が知るところである。まさにライヴって「生き物」だなぁと思ったし、1回でも逃すことは後悔に繋がることも知った。

また、どっかに詳細を記したかもしれないが、大阪から名古屋へ向かう途中、同じ新幹線に乗り合わせ、降車直前のデッキで握手を交わした、俺にとって始めてのカヴァとの接近遭遇となったのもいい思い出。すべてにおいてパーフェクトなツアーだった。


半年後の94年6月、WS再結成。カヴァペの興奮冷め止まぬ中である。これはカヴァ自身にも言えたんだろうし、彼のハートに再び火がついたことを確信して、一刻も早くみたいがために渡英を決心。てか即決wまだ海外公演のチケットなんて「ワールドチケットぴあ」で取るくらいしかなかった時代、なんとか3公演分のチケットは抑えて、航空券取る。6年ぶりになる渡英だからと海外好きの副社長からヒルトン系ホテルが半額で泊れるマイレージ・チケを譲り受け、いざ憧れの地、ロンドンへ。ちなみに着いた数時間後にはハマースミスでライヴという強硬スケジュールであるw

卒業旅行時は南回り24時間かけたが、これ以降は直行便12時間。こっちを正午前に出ると大体現地時間16時前後にヒースローに着く。この日は若干遅れて、かつ地下鉄がトラブル起こしてて、ロンドン市内にたどり着いたのが18時すぎてた。チケットはJALのロンドン支店で取り置きをしてあってまず取りにいかなければならない。向こうのオフィスって18時クローズが当たり前の時代だったから、受け取れずに初日ハマースミスはダメかもToT と涙目で街中をひた走ってオフィスに到着。同じビルのサラリーマンが次々帰るために降りてくる中逆走してドアの閉まったオフィス前へ。ドアホンで来たことを告げて、ドアを開けてもらうと、さすが日本企業、みんな残業中でした(爆)。無事チケットを受け取り、タクシーを駆ってホテルにチェックインして休む間もなくまたタクシーで殿堂ハマースミスへ。
この会場で受けた感動はブートのコーナーのレビューにあるので割愛。
http://www.kino1989.info/Coverdale/HeadLine/materials.asp?Chapter=wsm110&Type=B&Lang=Japanese

そして2日後にマンチェスターへ移動。唯一チケットを事前入手できなかった会場で、ダフ屋を利用。有り金・カードの類を靴底に隠し(爆)、サイフに50ポンド紙幣だけ残して、黒人のにいちゃんに「これしかない、これが有り金全部!」というセスチャー。交渉の余裕と会話能力がゼロだったが即ゲット。クズ席でもかまわないと思ってたから1階中程だったことにちょっと感動。てか、日本円にして7500円程度ってのは定価に等しいけど、現地だと5倍近い買値だからね。当然と言えば当然なのかもしれんが。即刻ソールドアウトになって追加が出るだけの会場、素晴らしい盛り上がりだった。カードでマーチャンが買えるシステムにも感動したw

そして翌日ニューカッスル。ここで、2年前に亡くなった母を思い出し、涙を流しながら"Ain't No Love"を歌うカヴァの姿に心打たれたのでした。ニューカッスルがわが愛しの街になった瞬間でもある。

最終日はエジンバラ。ここでは開演前に一列前の客とトラブル。俺が席を探してたら別のカップルが座ってて、席を譲ってもらったんだが、男の方が前の席にビールを零したらしく、やがて現れたハリー・ジェームズ似のスキンヘッドにいちゃんに眼付けられ殴られそうになった、汗。一部始終を見てた脇のおにいさんが彼に事情を説明して疑惑解消。この場を借りてありがとう!ってオイオイ。ちょっとビビったものの、無事ツアー終了。翌日ミッドランド航空でヒースローへ、そのまま成田行きに乗り継ぎ東京へ。帰った日本は猛暑の中で、お土産に買いこんだ30本近いチョコ・バーが危うく溶けるとこだった。おまけに新入社員が増えてて、俺不要かい?って突っ込んだわw

強行スケジュールだったけど、「スネイクが帰ってきた!」との実感に十分満足した1週間だった。


2か月空けてジャパン・ツアー全8公演。初日の大阪はギリチョンなのに地下鉄で森ノ宮なんかで降りたもんだから城ホールまでかなり歩くはめになり、結局2曲聴き逃したなぁ(汗)。
東名阪以外の地方都市を訪れるのが初めてで、特に印象深かったのがその広島、新潟、仙台だった(小倉ゴメン、特に覚えてないやw)。
広島はブートのレヴュー欄に詳しい。仙台は、初めて訪れたこの地が先のニューカッスルの街の佇まいを思い起こさせてたのと(誰かさんも言ってたけどw)、それはファンの気質からも同様に感じれたので、北国生まれのカヴァと、なんかシンパシーが働いたんじゃないかと思ってる。

期間で言うと、1年という中で計19公演見たことになるこの時期が多分一番俺の中で充実してた時だったと思う。

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そう、ニューカッスルアポンタインは東北地方の匂いがするのです(笑)

ロバート・プラントが嫌がっているZEPの再結成に、デイヴィッド・カヴァデールが参加しないですかね?
WSの楽屋によくジミー・ペイジが来てたそうで。
アメリカ人の若造はいらないですよね。

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ここが静かな時は
ここで暴れてるか
鑑賞中です♪

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このページは、kino1989が2008年10月15日 20:50に書いたブログ記事です。

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